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下池田遺跡(しもいけだいせき)説明板

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2018年7月4日掲載

下池田遺跡説明板の写真です

八木北小学校(下池田町)の西校門に下池田遺跡説明板を設置しました。

下池田遺跡

下池田遺跡の写真です

下池田遺跡で出土した土器の写真です

弥生時代の中期から古墳時代にかけての集落跡です。特に弥生時代中期の集落では、岸和田市を代表する大規模な遺跡です。

下池田遺跡は大規模な発掘調査が今までに3度実施されました。第1次調査は昭和51(1976)年の八木北小学校建設に伴う発掘調査で、竪穴住居10棟以上、掘立柱建物1棟、井戸4基、溝14条、円形周溝墓3基、流路5条などが検出されました。この調査で、下池田遺跡が弥生時代の集落遺跡であることが確認されました。

第2次調査は昭和61(1986)年の八木北小学校内のプール設営に伴う発掘調査で、円形の竪穴住居3棟、方形の竪穴住居1棟、前方後円形周溝墓1基、井戸1基などが検出されました。

第3次調査は平成19(2007)年に大阪府営住宅の建て替え工事に伴う発掘調査として行われました。土器などが出土するとともに、集落をとりまく大きな溝(環濠)が検出され、その調査結果から下池田遺跡が短期間の存続ではなく弥生時代の中頃から古墳時代にかけてほぼ途切れることなく営みづづけられた集落遺跡であることが判明しました。

また、泉州地域だけでなく、河内(大阪府東部)や近江(滋賀県)、山城(京都府)、摂津(大阪府北西部)、播磨(兵庫県)、吉備(岡山県)などの広範囲の地域の土器やそれらの影響を受けた土器なども多数みつかっており、池上・曽根遺跡(和泉市・泉大津市)に次ぐ弥生時代中期の物流ネットワークの一拠点に位置づけられる集落だったことが考えられます。


交通 JR阪和線久米田駅下車徒歩11分


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