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久米田池(くめだいけ)説明板

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2019年3月1日掲載

久米田池説明板の写真

久米田池西側遊歩道沿いに説明板を設置しました。

久米田池

・大阪府「史跡・名勝」指定(昭和16年)

・農林水産省「ため池百選」選定(平成22年)

・世界かんがい施設遺産登録(平成27年)

久米田池航空写真です

大阪府から史跡・名勝の指定を受けている久米田池は、池尻町と岡山町にまたがる、広さ45.6ha、貯水量157万t、周囲約2,650mの大阪府内最大の面積を持つため池です。『隆池院縁起(りゅうちいんえんぎ)』によると、僧行基(ぎょうき)によって、奈良時代の神亀(じんき)2(725)年から天平10(738)年の14年かけて造られたとされています。この際、池を管理する施設として、隆池院という寺院が建てられました。これが現在の久米田寺です。

 中世に入ると、池の管理は久米田寺から「久米田池郷」に替わります。「久米田池郷」とは、池尻、田治米、大町、西大路、箕土路、下池田、小松里、額、荒木、中井、吉井、春木、加守、西之内の14ケ村で形成された地域共同体です。この14ケ村の取り決めにより、池の管理・運営がされてきました。そして、約1300年経った今でも良好な環境が守られています。昭和32(1957)年からは、岸和田市久米田池土地改良区によって管理・運営が行われており、これらの長い歴史と多くの人々によって池が守られてきたことやかんがい農業の発展に貢献する卓越した技術が評価され、平成27(2015)年10月12日、世界かんがい施設遺産に登録されました。

また、久米田池は「鳥の国際空港」とも呼ばれ、1年を通してさまざまな鳥類がエサや休息場所を求めて飛来します。春と秋には、渡り途中のシギやチドリのなかまたち、夏にはコアジサシやオオヨシキリなどの夏鳥、秋から冬にかけてはカモのなかまなど、年間を通して100種類以上もの鳥類が確認されています。

久米田池の発掘調査

久米田池発掘調査区域の地図です

都市計画道路田治米町線の道路建設により、平成19年に発掘調査が行われました。地図上の黒い部分が調査区域です。結果、石樋管や木樋管などを検出しました。

石樋管(せきひかん)

石樋管写真

樋管とは、池の水を引いたり、外に出したりする現在の水道管のようなものです。幅約60cm、長さ約24mの花崗岩製の石樋管が調査区域の中央部を横断する形で検出されました。石樋管の蓋石(ふたいし)は12枚で構成されていて、1枚の蓋石は短辺約60cm、長辺約180~200cmで、石樋管内側の寸法は縦30cm、横30cmです。石樋管周辺部からは、手のひら大の花崗岩のくず石を多数検出していることから、石樋管を設置する際、現地で板状の石を再加工したと考えられます。

また、この石樋管は昭和30年代に大改修が施されており、石材の継ぎ目から漏水(ろうすい)を防ぐために、両側面の外側をコンクリートで補強されていました。さらに、この石樋管の下に、江戸時代中期に木樋管があったと思われる掘り方が確認されました。

木樋管(もくひかん)

木樋管写真(右)木樋管1(左)木樋管2

調査区域の南西端部(久米田寺側)において、2本の木樋管を検出しました。2本のうち上層部にある木樋管1は、11~12世紀頃のものと考えられます。また、やや下層部にあった、もう1本の木樋管2は、一緒に出てきた遺物が極めて少なく時期を絞り込むことができませんでした。しかし、木樋管1の側板を固定するための石組みの下から検出されたことなどから、木樋管1以前に埋設されたものと推定されます。

敷葉工法(しきはこうほう)

この調査で、堤を造る工法の一つである敷葉工法が検出されました。この工法は狭山池(さやまいけ/大阪狭山市)でも用いられていますが、同様の土木技術が、同年代の中国や朝鮮半島にも残っています。敷葉工法を用いることにより、強度の増した堤が造られました。ただし、久米田池では枝と葉がついた状態の狭山池の工法と違い、枝がなく葉だけを使用していたと考えられます。

久米田池の築堤工法は、まず、粘質土(ねんしつど)と植物の葉などを交互に何層にも重ね、畑の畝(うね)のような盛り土を造ります。そして、その畝と畝との間に砂礫(されき)を敷き詰めます。砂礫が畝の高さまで敷き詰められると、同様の工程を繰り返して堤が造られました。

※砂礫―砂と小石がまざったもの。


交通 JR阪和線久米田駅下車徒歩16分


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