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久米田古墳群

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

古墳群の地図

 池尻町付近の標高35~40mの久米田丘陵にあります。過去、10数基の古墳があったと考えられていますが、現在は8基の古墳が確認されています。そのうち、貝吹山古墳、風吹山古墳、無名塚古墳の3基は現在、一部整備され久米田公園の中に存在します。
 古墳時代、岸和田市のある和泉地域で力を持っていた首長のお墓(古墳)は、岸和田市摩湯町にある摩湯山古墳から始まります。その後、岸和田市近隣で貝吹山古墳と同等の古墳が造られていきます。しかし、時代が下るにつれて、中央政権と和泉地域の首長との関係の変化などから岸和田市内では大規模な古墳は造られなくなりました。

貝吹山古墳(かいぶきやまこふん)

貝吹山古墳の写真

 全長130m、後円部径75mの前方後円墳で、4世紀後半に造られたと考えられています。墳丘には埴輪が並べてありました。また、周濠がありその痕跡の一部が現在の山田池、ねんど池、どじょう池になっています。
 発掘調査で後円部には石棺と銅鏡、銅鏃、鉄製かぶと、腕輪形の石製品などの副葬品もあったことが明らかになりました。ただ、中世に盗掘を受けているので、本来の状態などは明らかではありません。
 現在、久米田公園内に存在する古墳の中で、最大規模の古墳です。

女郎塚古墳(じょろうづかこふん)

 現在、岸和田市立久米田中学校の敷地内に存在します。直径約28mの円墳で、周濠があります。発掘調査で、墳丘に円筒埴輪が並べてあるのを確認しました。この埴輪より、5世紀前半頃に造られた古墳と考えられています。

光明塚古墳(こうみょうづかこふん)

光明塚古墳の写真

 現在、久米田寺の境内に存在します。墳丘は古墳が造られた当時とは変形しています。昭和46年の実測調査によると、直径約25~30mの円墳であったと推定されています。

志阿弥法師塚古墳(しあみほうしづかこふん)

 墳丘は古墳が造られた当時とは変形しています。昭和46年の実測調査によると、直径約16mの円墳であったと推定されています。かつて腕輪形の石製品が出土したと伝えられています。
 なお、この古墳の名称になっている志阿弥法師は奈良時代の僧です。奈良時代よりも前に古墳が造られているので、この古墳が志阿弥法師のお墓というわけではありません。

長坂古墳(ながさかこふん)

 現在は住宅地になり、墳丘は残っていません。昭和40年後半の調査では墳丘の跡形があったようで、直径10m前後の円墳だったと推定されていますが、詳細は知られていません。

持ノ木古墳(もちのきこふん)

 無名塚古墳の南東方向に隣接する一辺約13mの方墳です。墳丘の基底部と幅1.5~2mの周濠が見つかり、周濠から多くの埴輪片と須恵器が出土しました。出土した須恵器には、朝鮮半島の南部地方から出土している土器との類似点があります。
 なお、持ノ木古墳の墳丘は、現在整備された久米田公園内には残っていません。

無名塚古墳(むめいづかこふん)

無名塚古墳の写真

 5世紀初頭に造られた直径約26mの円墳です。墳丘には埴輪が並び、周濠があったことが発掘調査により明らかになりました。出土した埴輪は円筒埴輪で、隣接する風吹山古墳のものとほぼ同時期のものです。

風吹山古墳(かぜふきやまこふん)

風吹山古墳の写真

 全長約71m、円墳部径約59mの古墳で、古墳を上から見た形が帆立貝に似ていることから、帆立貝形古墳と呼ばれています。
 発掘調査により、墳丘の形状の改築と馬蹄形の周濠があったことがわかりました。墳丘は葺石で覆われ、円筒埴輪が並んでいました。墳頂部には2基の埋葬施設が確認されています。木棺と、胃や鉄製のよろい、銅鏡、鉄刀、鉄剣、多くの玉類などの副葬品が出土しました。5世紀初頭に造られた古墳と考えられ、現在、久米田公園内に存在し、整備されています。


交通 JR阪和線久米田駅下車徒歩10分