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山岡尹方(やまおかただかた)1840~1915

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

  山岡家はもと岸和田藩の上級藩士で、その屋敷は今も城内に武家屋敷の風情を残しています。
 尹方は、明治維新後、生活が苦しくなった士族たちに仕事を与えようと、煉瓦製造業や水飴製造業をはじめますが、うまくいかずに、一度は失敗に終わりました。そうした時、明治11年に、最後の岸和田藩主岡部長職の依頼で新島襄が岸和田へキリスト教(新教)布教に訪れました。尹方は新島の布教に積極的に協力し、やがて自ら岸和田で最初の信者となり、同志社神学部に入学しました。事業に失敗して一度は自殺をも考えましたが、聖書を読んで考え直し、彼は再び事業経営に乗り出しました。こうして明治20年に第一煉瓦会社(後の株式会社岸煉、今の株式会社ナムコスパ・リゾート)を設立、西洋建築の流行にも乗り、会社は順調に成長を遂げました。会社経営にはキリスト教の影響が強くみられ、岸和田煉瓦株式会社の社章は十字架をあしらったもので、その製品にはすべて社章のクロスが刻印されています。当時の岸煉製煉瓦は、今も残る同志社大学の校舎や神戸地方裁判所などに多く使われています。

山岡尹方写真山岡尹方写真(山岡家)

新島襄書簡の写真「新島襄書簡」(山岡家)