捕鳥部万(ととりべのよろず) ?~587

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

  捕鳥部万は6世紀に朝廷で権勢を誇った大豪族物部守屋に仕えた兵士でしたが、587年、守屋は、河内で蘇我馬子や聖徳太子らの軍勢に責め滅ぼされました。難波方面の守備にあたっていた万は、主君が滅ぼされたことを聞くと、妻の家がある有真香邑(ありまかむら)に逃れましたが、朝廷からの追撃をうけ、自害しました。有真香邑は今の阿間河滝・神須屋・八田・真上・畑・流木・極楽寺町一帯にあたります。朝廷は万の死骸を八つ裂きにせよ、と命じましたが、万が飼っていた一匹の犬が万の死骸の側を離れず、万の首を食いちぎって古い墓に納め、犬はその墓の上に伏したまま、死んでしまいました。この報告を受けた朝廷は、世にも珍しい忠義深い犬だとして、万と犬の墓を作らせて丁重に葬ることにしました。
 これは『日本書紀』に記された逸話です。天神山町にある天神山古墳群のうちの大山大塚古墳と、義犬塚古墳が万と犬の墓と伝えられています。

伝捕鳥部万墓の写真捕鳥部万墓(大山大塚古墳・天神山町)

聖徳太子絵伝の写真蘇我・聖徳太子と物部守屋の合戦(叡福寺蔵「聖徳太子絵伝」)