岸和田のむかし話6 轟川・天の川周辺の話・(10)礼拝塚(春木)
江戸時代の中ごろ。
馬の名手と評判の石橋新右衛門(しんえもん)という立派な武士が、お供(とも)を連れて紀州(きしゅう)街道(かいどう)をやってきました。
「ご主人様。ここで馬を下りてくださりませ」
「なぜじゃ」
「はい。この先に小さな塚(つか)がございます。礼拝塚(ぬかづか)と申しまして、ぬかずかずに通り過ぎると、必ず災厄(さいやく)に遭(あ)うといわれておりますので」
「何を申すか」
からからと武士は笑いました。
「わしは、見事、塚の前駆(か)け通してみせようぞ。ハイヨー!」
馬にひと鞭(むち)当てたとたん、馬はがくんと前脚(まえあし)を折(お)り、武士の体はどっと鞍(くら)から転げ落ち、腰(こし)を抜かして、
「まいったぁ・・・・・・」
この塚の標柱(ひょうちゅう)は、今でも春木の泉団地内に残っています。

〔かりそめの ひとりごと〕
春木村ぬか塚のこと、州志のたぐひ説々みなたがへり。
昔は今のように神社多からず。このほとりの産砂神(うぶすながみ)は、西の内村明神ばかりなりしが、へだたりぬる里人は、日々詣(もう)でくることのかたければ、村々に遥拝所(ようはいしょ)をかまへて、ぬかづきしなり。
この故に古き記には「ぬかのもり」とあり、今はぬか塚といふ。
このたぐひ、ここにかぎれるにはあらず。
村々にありしかど、あるは小社をおき、あるはこぼちとりて、その跡しるべからざるもの多し。
たまたま残るも、旅人の死せしを埋(うず)みし跡よ、戦死を葬(ほうむ)りたる所よ、などとあらぬことを云ひ伝へたり。
中盛彬(もりしげ)「拾遺(しゅうい)泉州志」所載
※ この「岸和田のむかし話」は市制70周年を記念して平成4年11月に刊行された本をWeb化したもので、岸和田に伝わる昔話や、発刊時に創作された話を収録しています。
あくまでも昔話ですので、必ずしも史実に基づいているものではありません。
