報道発表  岸和田市史史料第8輯 熊沢友雄日記(3) 明治十一(一八七八)年~明治十四年』刊行しました

印刷用ページを表示する 2011年1月28日掲載

概要

 「熊沢友雄日記」は、幕末期の岸和田藩士であり、維新後は堺県会議員、同副議長、大阪府会議員、南・日根郡長などを歴任した熊沢友雄の日記で、嘉永5(1852)年から明治28(1895)年まで、一時期を除いてほぼ全期間にわたって記述されています。江戸から明治へと大きく時代が移り変わる中で、岸和田に生きた人物の生の証言にあふれたきわめて貴重な史料であるため、平成20年度より順次刊行しています。今回は第3冊目として明治11年から明治14年までを翻刻して刊行します。 

詳細

 熊沢が生きた時代は日本史を画する一大変革期であり、『熊沢友雄日記』には、幕末・維新期の相次ぐ政治・制度の変革や社会の変化の様子、それに対する熊沢の感懐などが記されています。その他、日常生活の食事、娯楽、親類・友人等との交流など些細な出来事も多く記され、当時のくらしぶりがよく伝えられています。日記からは当時の相次ぐ諸変革に対する同時代人の受け止め方や、社会情勢の変化への対応等が知られ、岸和田の地域史のみならず、日本近代史の研究史料としても重要な史料です。日記の主な内容は次の通りです。

  1. キリスト教
     明治11年7月、新島襄が元岸和田藩主岡部長職の依頼によってキリスト教(プロテスタント)伝道のため岸和田へ来ました。これ以後、新島の他、同志社学生や、米国人宣教師、沢山保羅(ぽうろ)(浪花教会牧師、梅花女学校創立者)らが布教に訪れました。熊沢は新島らの講義に何度も出席し、新島に直接疑問点を質す等キリスト教に強い関心を示したことが日記から伺えます。一方、同年末にカトリックの伝道師も岸和田へ来ており、熊沢はカトリックの説教も聴聞しています。岸和田地域でのキリスト教信仰の端緒が知られます。
  2.  堺県・大阪府会議員
     明治13年5月、熊沢は堺県会議員に当選しましたが、自ら立候補したわけでなく、旅行から帰宅すると郡役所からの召還があり、郡長から当選したことを知らされたといいます。最初の堺県会で熊沢は副議長に選ばれました。翌14年2月、堺県が大阪府と合併することとなり、熊沢は府会議員となり明治15年7月まで議員でした。この間、議員としての活動はあまり詳細ではないものの、近隣府県の議長らとの交流、新聞記者や民権家等が熊沢に接触していたことなど、自由民権運動期の地方情勢の一端が日記から伺えます。
  3.  国立五十一銀行開設
     明治11年12月、岸和田本町に国立五十一銀行が開設されました。それ以前、熊沢ら士族層や名望家らが「商社」という金融機関を運営していましたが、国立銀行を設立して商社を廃止しました。岸和田で最初の銀行で、後に周辺銀行と合併を重ね、昭和20年には住友銀行と合併しました。熊沢は創立当初の株主で、一時、取締役にも就いたため、五十一銀行の設立経緯とその後の経過について詳しく記されています。
  4. 自然災害
     明治12年6月28日条に岸和田では珍しい竜巻被害の記事があります。貝塚沖の海上から「黒雲」が発生し、貝塚や岸和田の家屋などを多く破損したといいます。「黒雲」の中に発火現象を見た人もいたといい、熊沢は「エレキの作用」と推測しているが、現代から見ればこれは竜巻と考えられる。気象学的にも貴重な記事です。
  • B5判 218頁 1600円 送料290円
  • 2月1日(火曜日)より郷土文化室にて頒布。
  • 郵送を希望される場合は、代金と送料を現金書留、または郵便小為替にて郷土文化室までお申し込みください。2冊以上の場合の送料はお問い合わせください。送料は切手も可。 

本件に関する問合せ先

郷土文化室 電話:072-423-9689