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蜂屋頼隆(はちやよりたか) 1534~1589

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

 蜂屋頼隆は、織田信長の家臣として岸和田城の守備にあたった武将です。信長軍と大坂本願寺との10年におよぶ合戦が続く中で、織田(津田)信張とともに和泉地方の指揮官として活躍し、信長と本願寺との講和がなった後、天正9(1581)年7月頃に信張とともに岸和田城に入城しました。織田氏一族の信張は本丸に入り、頼隆はその後見役として二の丸に入ったといわれています。翌天正10年に本能寺の変が起こり、頼隆は羽柴秀吉に属して山崎の合戦に加わり、同13年には秀吉から越前国(福井県)敦賀城主に任命され、さらに後には羽柴姓を与えられるなど秀吉の信頼厚い武将でしたが、没後、子がなく蜂屋家は断絶しました。

参考文献
 『戦乱の中の岸和田城―石山合戦から大坂の陣まで―』(岸和田市立郷土資料館、2004年)
 『岸和田市史』第3巻(岸和田市 2000年)

蜂屋頼隆像の写真蜂屋頼隆像(彦根市 崇徳寺蔵)

蜂屋頼隆宛顕如書状の写真蜂屋頼隆宛顕如書状(岸和田市立郷土資料館蔵)