ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織でさがす > 広報広聴課 > 報道発表 兵主神社所蔵の能面を市の有形文化財に指定しました

報道発表 兵主神社所蔵の能面を市の有形文化財に指定しました

印刷用ページを表示する 2015年6月2日掲載

概要

市は、平成27年6月1日付けで兵主神社(西之内町)所蔵の能面を、市の有形文化財に指定しました。

詳細

1.名称

能面8面 附紙製面1面、面袋9枚、木箱1合、面袋献納記1通

2.種別・員数

有形文化財(彫刻)・8面

3.所有者

宗教法人兵主神社(西之内町1-1)

4.時代

室町~江戸時代

5.説明

能面について

面長17.2cm~21.5cmの能面が計8面あります((1)~(8))。材質はヒノキ・キリ・クスで、縦一材から彫成し、下地に彩色を施しています。ただし、「黒色尉」のみ下地がなく直接彩色を施しています。

(1)翁(おきな)
(2)翁又は父尉(ちちのじょう)
(3)黒色尉(こくしきじょう)
(4)延命冠者(えんめいかじゃ)
(5)尉(じょう)
(6)小尉(こじょう)
(7)小尉
(8)小面(こおもて)又は若い女

古式の舞で用いられる5面(「翁」、「翁又は父尉」、「黒色尉」、「延命冠者」「尉」)は同じ作風で、いずれも定形化する以前の形式にとらわれない自由でのんびりした古風を残し、室町時代の作と見られます。

岸和田市域のみならず大阪府内においても、室町期の地方芸能史資料で現存するものは数少なく、特に古式の舞で用いられる面が全て揃って伝えられる事例は貴重です。

2面ある「小尉」は先の5面とはやや作風を異にしていますが、やはり古風な作行きは室町時代と江戸時代初期の作と推定されます。「小面又は若い女」は形式的には他の面に比べてやや新しく、製作時期は江戸初期まで下る可能性もあります。なお、附とした紙製面は鬼神系の面あるいは神楽面の可能性も指摘されています。

能面に関するいわれなどについて

兵主神社に伝わる寛永6(1629)年正月16日付けの古文書には、次のような能面の由来が記されています。「村の子供らが狐を犬に食わせたことが神の怒りを招き、宮年寄らが神前に七日間篭ると、七日目の朝に社殿が振動し、神前に女郎面が現れた。面を神前に立て、奈良・大坂の能役者を招いて毎年正月17日と8月8日の祭礼に能を演じ、村も栄えたが、やがて能も行われなくなった。」この文書には、能が行われなくなったのは寛永6年の62年前とあり、永禄10(1567)年頃までは能が演じられていたとしています。

また、兵主神社所蔵文政6(1823)年「旱魃に付当村氏神え雨乞致し候に付諸事控」には、雨乞いの際に「天降り玉ふ御面」を神前に飾り置いたことが記録されています。これらの能面が室町時代から雨乞い神事に使用されたかどうかは判然としませんが、兵主神社が雨乞いの神として地域住民に信仰されてきた歴史と密接に関連し、能が演じられなくなった後は、雨乞い神事と関連する神宝として大切に保存されてきました。

なお、寛保3(1743)年6月に岸和田藩士陶国興が記した「面袋献納記」は、当時の岸和田藩主岡部長著がこの能面を見て錦の袋を献納した記録で、岡部長著が寄進した面袋も伝存しています。

兵主神社について

兵主神社は、平安時代に著された『延喜式』に記されている式内社です。掃守郷の惣社で、大宮とも呼ばれていました。

天正年間(1573-1592)に社殿が焼失し、現在の本殿(重要文化財)が再建されました。境内には、大蛇が棲むと伝える蛇淵という小池があり、雨乞い祈祷の場でもありました。 

本件に関する問合せ先

郷土文化室 電話:072-423-9688