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報道発表 「木造十二神将立像」を市の有形文化財(彫刻)に指定します

印刷用ページを表示する 2014年5月1日掲載

概要

 5月1日(木曜日)付けで、泉光寺が所蔵する「木造十二神将立像」を市の有形文化財(彫刻)に指定します。

詳細

下記の文化財を市の有形文化財(彫刻)に指定します。

種別 有形文化財(彫刻)

名称 木造十二神将立像(もくぞうじゅうにしんしょうりゅうぞう)

員数 12躯

所有者 宗教法人泉光寺

所在地 岸和田市門前町2-4-1

時代 南北朝時代

指定年月日 平成26年5月1日 

泉光寺は岸和田藩主岡部宣勝が寛文8(1668)年に没した後、その遺言によって隠居所が岡部家の菩提寺とされた臨済宗妙心寺派の寺院で、境内には岸和田藩主岡部家累代の墓(岸和田市史跡)がある。本像は本堂に隣接する薬師堂内に安置されています。その特徴は以下のとおりです。 

  1.  北朝期の12躯全てが揃い、彩色は大部分が後世のものだが、おおむね保存状態は良好である。いずれも像高は50cm前後で、作風も似ており、同時期に製作されたものと考えられる。
  2.  十二神将は薬師如来と薬師経を信仰する人々を守るとされ、甲冑を着けた武将の姿で表現され、古くから十二支と結び付けて信仰されてきた。頭頂部に十二支を表す彫刻があり、それぞれ子神像・丑神像などと呼ぶ。十二神将像としては岸和田市内で確認される最古の作例である。
  3.  神像と戌神像の台座裏に墨書銘がある。未(ひつじ)神像の墨書銘から、未神像が元は「泉州日根郡大井関法花寺」の十二神将像の1躯であったこと、康永2(1343)年に根来寺の山籠快基の発願により、根来寺において「大仏師法□慶円」が製作したことが判明する。南北朝時代以後、根来寺が泉南地域に強い影響を及ぼしたが、そうした歴史を伝える初期の資料である。日根郡の「大井関」は和泉五社の一つ大井関明神社(日根神社 泉佐野市)と考えられるが、「法花寺」については他に記録がなく不明である。なお天保14(1843)年「泉州日根郡寺社覚」・元禄3(1690)年「泉州大井関古絵図」等によれば、江戸時代には大井関明神社境内に東方寺があり、泉光寺の末寺となっていたので、本像の伝来と関係する可能性がある。また、製作者の慶円については、京都三条の仏師円派の流れを汲む一人と考えられ、根来寺内に造仏所があったことを示す資料としても注目されている。
     戌神像の墨書銘は磨滅が著しいが、「正平廿三年(1368年)」の年紀も認められ、未像と同じく南北朝期の墨書である。

 ※ なお、拝観を希望される場合は、予め泉光寺(電話:072-427-5610)へ連絡してください。

資料

木造十二神将立像の写真です

ひつじ神像の写真です

ひつじ神像の台座裏の銘の写真です

本件に関する問合せ先

郷土文化室 電話:072-423-9689