風物百選 95 大威徳寺 鐘つき堂
きりえ 大松毅
牛滝は役(えん)の行者の昔から「木々緑滝三段の響き」を今に伝えている。荒々しく滝つぼをたたく水勢に引き換え、時折、やさしい鐘の音色が紅葉の山谷を渡る。持に甚四郎さんのつく鐘はよい音がしたという。
正午と午後5時の2回、寺男が山野で働く人々に時を知らせる。空気の澄んだ日には大沢の人の耳にも達する。谷を隔てて汗していた山男が、鐘を聞くと互いに声をかける。「もう、けどきやど」と。柳の飯行李にぎっしりと詰めた麦飯をほおばる。竹筒の茶で渇きをいやす。梅干しの種だけが山に置き土産にされたのも、30年前までのことである。年越しには、除夜の鐘をつきに村人が集まったのはもちろんのことである。
昭和19年戦争末期、鐘は供出される運命になっていたが、運搬する便もなく終戦を迎えた。鋳造年代や鐘楼の歴史は不明である。大正年代の初め、瓦のふき替えの手伝いをした覚えがあると、総代の溝端利一氏は言う。
年2回の牛滝会式には貝塚・泉佐野・土丸・横山・池田・山の春木・尾生あたりの人たちが家族同様に飼育してきた耕牛に錦(にしき)織を着せて集まってくる。鐘楼から本堂までの広場に牛つなぎ場を設営し、長い道程を歩いてきた牛に飼い葉おけが配られ、浄水が与えられる。大師堂への登り口にこの浄水のわき出す井戸がある。現在はふたをしているので分かりにくい。
品評会で賞を獲得した牛は、ご幣を背に鐘の音を聞きつつ、得意気に耳を二三度震わせて山を下って行ったものである。
現住・吉川博信師と共に鐘楼天板を調べてみると、銅板には「延宝九年辛酉五月二十五日、施主紀州和歌山寄合町住道東善右工門重善」とあった。
文 竹本豊秀
資料
山門を入って、正面の階段を登った上段に、本堂・護摩堂(今なし)・多宝塔・鐘楼と一直線上に、配置されていたという。鐘楼の背後が本坊となっていて、昔は、この鐘で村人に、時を知らせていたという。
交通
バス停牛滝山から南250メートル
この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。
そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。
