風物百選 93 牛滝川渓流

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

牛滝川渓流の南画南画 横山翠香

 明治7年8月5日、大阪府庁へ差し出した『内畑村取調帳』を見ると、
―大川一条、牛滝川、但シ水源ハ紀伊国山境界ヨリ出テ、当国大津海ニ出ル、但シ巾十間深サ二尺―
 と、ある。川は古来、そう深くはなかったらしい。葛城の山峡を流れ落ちる清流では、いたるところでカジカが鳴いていた。
 溪流沿いの里は、古代―中世―近世―時の流れと共にその姿を変えた。大沢は、むろん古くは大威徳寺の寺領だが、いつのころからか北野天満宮の社領となったりしたあげく、中世に入ると地侍・大沢氏の支配を受け、大沢氏はまた、泉北に勢力を持つ和田氏の被官となったらしい。たけだけしい騎馬武者たちが、この溪流を押し渡り、父鬼街道を北へ、あるいは水間街道を南へと、旗・指し物を風になびかせたに違いない。
 近世になると、そうしたたけだけしさが影をひそめてしまう。幕府直轄の料地となったり、有力大名家、あるいは家門(とくに一橋)の領分となったり、めまぐるしく地頭(領主)は変わるが、ひたすら従順に年貢を差し出す無表情な在所に変身するのである。
 幕末になって、下流の田治米付近は、岸和田藩(岡部)の預り所となったりするが、上・中流一帯は、岡部の支配を受けることなく維新を迎えた。
 葛城の山の背からそうそうと流れる牛滝の溪流も、こうして見れば、さまざまな風雪をかいくぐった苦渋の色濃い流れといえなくもない。カジカの声も、大沢から山へさかのぼらなければ、もう聞けない。

文 田川民治

資料

 和泉山脈は和泉砂岩でできていて、その岩石が、少し傾斜しながら流れを横切っている。そのため、牛滝川の渓谷には、滝や段差が多く見られ、又、岩石流のあとや鴎穴なども見られる。

交通

 バス停牛滝山から北東500メートル


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。