風物百選 56 岸和田池
油彩 稲垣藍
流木町を南へ、津田川左岸の水路沿いの道を、城山のがけを回って進むと水道みちに出る。とたんに景色が開けて前方左右に大きな堤が見えてくる。左が岸和田池、右が今池の堤である。
水道みちから岸和田池へとたどる道は、すぐに永吉池の堤へと下り、四十九(しずく)社のあとの枯れた木立、落井清水のあった辺りをすぎて再び、少しずつ登りになり、岸和田池の堤に突き当たる。高い堤のすそ辺りには「いしもち草」や「小もうせんごけ」などが見られ、斜面は春には絶好のワラビ採りの場所となっていたところ。
この堤の西側、今池との間の道は、昔の阿間河の流木と滝とを結ぶ近道であったという。こんな流木町の山中、南上町の飛び地にあるこの池は、天正のころ岸和田城の用水としてつくられたとか。平時には旧岸和田の農業用水としてその管理がゆだねられていた。もとは上・下・返りと3つの池がセットであったそうであるが、返りの池は今はもう見られない。
池の山手には阿間河滝のミカン山越しに神於山・熊高山が並び、左手は津田川へと開けて対岸に天神山団地が展開する。紺青の水をたたえるこの池には、主の大蛇がいるとか。その食べた「タニシ」の殻の山が、たまに見えたともいい、秋には岸の枯れアシにスズメが群集し、スズメ狩りが行われたこともあったという。むかしの阿間河の小道は幹線道路として今、生まれ変わりつつある。そのそば、岸和田のルーツにつながる岸和田池は、今日も満々と水をたたえ、沈黙を守りつづけている。
文 玉谷哲
資料
流木墓地公園の一角、城山の位置から山手にみえる2つの大きな池である。岸和田庄の池として、天正3年(1575)に、松浦肥前守光がつくらせたとされている。地元では、山池ともよばれる。
交通
バス停流木墓地公園東300メートル
この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。
そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。
