風物百選 41 中央公園

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

中央公園の油彩油彩 荒木節子

 春木競馬が廃止になる二年前、私たち夫婦は競馬場の東側にある借家に所帯を持った。廃止後の、まだスタンドもそのままのころ、よちよち歩きの長男を連れて遊びに出かけた。クローバーが今のテニスコートやプールの辺りを一面に覆っていた。植込みにはつつじ・くちなし・コスモス・菊・さざんかが時をたがえずに、咲いていた。馬場の方でもたんぽぽ・つくし・れんげが短い茅(かや)の間に見つかった。
 そのうち厳重な塀が巡らされた。私はチビツ子広場から市民病院の方へ抜ける小道を通りながら、閉ざされた世界からの工事の音を聞いた。やがてその小道も遮断され、幕が開いた時に、競技場のトラックの半分だけが姿を現し、わきのポールの三本柱が起点となる気配が感じられた。西之内町の方に、子供の遊び場と、少しばかりの葉を付けた木の群れが林になろうと頑張っていたころ、空が突然、赤や黄のとりどりの水玉模様になった。その日から市民フェスティバルが毎年、初夏の日の一日、開催された。浮き立つ心が私の年齢を忘れさせ、公園は急速に変ぼうしていった。いつの間にかすばらしいトラックも出来上がり、グラウンド周りの道は私と子供たちの散歩道となった。
 土の道は、時にぬかるんだり、照り上がってカチカチのでこぼこ道になったり、舗装された道と違って、"生きた道"だった。植木が増えて、中央にあるトイレの周囲のキンモクセイの香りと出会った時、なんといきな演出だろうと一人うれしがった。テニスコートも出来、たくさんのボールの音が、テニスの出来ない私には、楽しくもうらやましくも聞こえた。それでも成長してきた息子たちのソフトボールの球拾いが、私と公園をつないでくれた。
 プール建設の途中、私たちは公園から少し離れた所に引っ越した。新しい建造物が出来上がる度に、楽しくせっせと見に行く。私は、私自身の夢を重ね、新生の公園がだんだんと姿を現していく過程をじっと見つめながら、完成の時の喜びに期待を膨らませるのである。

文 福留和代

資料

 緑豊かな憩いとスポーツの広場をめざして、昭和50年度から整備をすすめている。競馬場跡地の面積8,500平方メートルの用地には、競技広場、球技広場、50メートルプールなどが完成し、名実ともに、市の中央公園として充実しつつある。

交通

 バス停中央公園前下車すぐ


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。