風物百選 39 岸和田競輪場

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

岸和田競輪場の油彩油彩 大上吉成

 大阪市内から岸和田に移り住むようになったのは昭和三十五年。南海電車に乗ってぼんやり外を眺めていた私に、赤や黄、緑の大きくきれいなテントが目の中に飛び込んできた。童話の世界へと一瞬誘われた。それが競輪場だとわかったのは、いつのころだったろうか。
 母の養父は実業家であった。株で失敗し、家族は悲しいつらい思いをした。終戦後、母がわざわざ上町線に乗って宝くじをアベノへ買いに行く。当選番号が載っている朝刊を、いつもより早く起きて玄関でソワソワしながら待っている母の姿。小学生の私たちに、当たったらあれも買ってあげる、これも……と夢を描いていたのも、家の貧しさと母の愛がそうさせたのだろうか。大きくなってから競輪場の前を何度も通りながら、一度も中に入ったことがなかったのも、昔のむなしい思い出が残っていたからかもしれない。
 そんな私がある日、勇気を出して、五十円の入場券を買った。そして、よくこれだけ多くの男性が集まってきたものだとびっくりした。場内に流れる演歌は、なぜか私には哀調を帯びて聞こえた。やがてリズミカルな活気のあるメロディーに切り替わって、投票が締め切られ、レースが始まるというアナウンスが流れると、スタンドの入り口へと人の波が動き始める。カラフルなウエアーで装った選手たちの動きに、すべての人々の目が注がれる。最終コースに入って鐘が乱打されると、観衆は総立ちとなり、歓声とヤジが飛び交い、興奮のるつぼと化す。そんな風景に、体中のエネルギーを噴出させ、ストレスを解消する男たちの哀歓を見る思いがした。
 私には静かな田舎にあこがれる気持と、雑踏や大衆の息吹、喧噪の渦巻く都会にひかれる心が同居している。競輪場はまさに私の心のふるさとであったのだと、妙な親近感を覚えたのであった。

文 広谷裕子

資料

 戦後の市の財政難から、自転車産業振興の名のもとに、自転車競技を行うようになる。第一回競輪は、昭和25年2月で、入場者数11,000人、売上高1,600万円。昭和57年度、市開催7回分の実績は、入場者数51万6,733人売上高174億2,715万円余。

交通

 南海本線春木駅下車すぐ


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。