風物百選 38 八幡山公園
染色 雪本秀子
八幡山は、弥栄神社と蛇山古墳を総合して呼んだ名前だと思います。昔は丘陵で、沖の船や陸地の戦の監視所の役目を果たしていたのでしょう。私の幼いころは、昼なお暗いほど松の木が茂っていました。そのせいで、風が吹くとかならず翌朝、サライを持ったおばあさんたちが、落ち葉を集めに来ておりました。
この付近は、磯上、吉井の学童の通学道路でもありました。本を包んだふろしきを腰に巻いて毎日、元気に通学しておりました。夏は松や雑木の枝が、トンボやセミ取りに日が暮れるのも忘れる遊び場にもなり、赤ん坊や幼い子供の昼寝の場所にもなりました。ただ一つ、大きな悩みがありました。蛇山の北側に、平屋の長屋が黒い板塀の囲いの中に、建っていたことです。これは当時の避病舎で、伝染病患者を収容した場所でした。家の人はここに近づかないように注意してくれたものです。これを除くと付近は子供たちの楽園で、学校帰りの生徒は、よく八幡山で遊んで帰ったものです。すぐそばを流れている川に入って、フナやドジョウを取ったのも楽しい思い出です。それにしても、当時の川の水は本当に美しかったものです。
土手に咲いたマンジュシャゲが、真夏の日に赤くもえ、一層暑く感じられたものです。ここに立って、昔をしのぶ時、本当に田舎の風情がこみあげてくるようです。八幡山公園として立派になり、市民の憩いの場としての役目を果たしつつあることは、大変うれしいことです。
文 岡野三郎
資料
紀州街道のできたころの一次砂丘として残っている市唯一のもの。もと5メートルくらいあった砂は、現在、3メートルほどになり、この影響で松が根上がりとなっている。昭和36年の発堀調査の結果、縄文時代~中世の複合遺跡と判明した。
交通
南海本線春木駅から北へ700メートル
この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。
そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。
