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風物百選 01 岸和田城

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

岸和田城の油絵油彩 奥野芳子

 岸和田城といえば、南海本線・沿岸道路を行き交う人たちの目には指導標となり、市民からは「わがまちの顔」として誇りに思われ、また親しまれている。
 岸和田城は、慶長二年小出播磨守秀政によって築かれ、のち松平康重を経て寛永十七年、岡部美濃守宣勝を藩主として、明治維新までつづいたのであるが、文政十年には雷火で天守閣が焼失している。城跡には老松の大木が亭々とそびえていたが、これも台風ですっかり見られなくなった。
 ふるさとへ思いを寄せる市民の要望から、PTA協議会と文化協会の名で市会へ再建を要請、市民図書館開設という建て前で昭和29年、池田谷久吉の設計によって天守閣は復元された。当初私は「城」としていささか量感に欠けていると評しもしたが、照明で彩られた夜空に浮かぶ姿は、実に美しいものである。
 この天守閣を支えて、脚下には八陣の石庭が、斯界の権威京都の重森三玲の考証で築かれた。諸葛孔明布陣の大将軍を中心に天・地・風・雲・龍・虎・鳥・蛇を抽象化して、青海波の砂紋に美しく描き出し、室町様式の枯れ山水の名園として完成、市の平和と繁栄を見守っている。
 岸和田城下には大正六年に杉江櫻圀によって府下最初の能楽堂が設けられた。またかつては干利休などとの交流もあり、茶道、生け花への関心が高まった。いまも屋敷町としての当時の優雅なにぎわいがしのばれる。
 泉州沖の国際空港の実現ともなれば、恐らく南海沿岸の様相はすっかり変ぼうするだろう。そして空港離着の内外人はこの美しい岸和田城の四季の眺めを楽しみ、産業都市のシンボルとして、眼下に見ることだろう。

文 柿谷華王子

資料

 建武元年(1334)和田高家が、岸とよばれていたこの地(野田町)に城を築いたのが始まり。天正13年(1585)に、小出秀政が今の地に入城し、慶長2年(1597)天守閣をつくった。寛永17年(1640)岡部宣勝が高槻から移封され、6万石(当初)を領し、城の大改築を行った。

交通

 南海蛸地蔵駅から北東300メートル


 この「岸和田風物百選」は、岸和田市の市制60周年記念事業の一つとして昭和58年(1983年)に制作されました。

 そのため、内容が古くなっている部分もありますが、交通手段を除いて、原本に忠実に再現しています。これは、実際に現地を訪れた際に、この間の時の移り変わりを感じていただければとの考えからです。