里山について

印刷用ページを表示する 2009年3月3日掲載

里山はどんなとこ

 岸和田市の集落や市街地の周辺には、樹林が広がり山地へとつながっています。 里山とは、一般的に人里に近い集落の周辺の低山地域を指し、雑木林や竹林、ため池、田畑などで構成されたところをいいます。具体的に思い浮かべにくいと思いますが、日本のふるさとの風景や学校唱歌に歌われている歌詞で感じとってみてください。

(歌詞)
うさぎ追いし かの山  こぶな釣りし かの川  夢は今もめぐりて  忘れがたし ふるさと 
(歌詞)
どんぐりころころ どんぶりこ  お池にはまって さあ たいへん  ドジョウが出てきて こんにちは  ぼっちゃん 一緒に遊びましょう
 里山に広がる雑木林には、コナラなどの落葉広葉樹林、常緑のアカマツやクロマツ林のほか、スギ・ヒノキなどの人工林、竹林を含むさまざまな種類の樹木かみられます。そこでは、四季折々の風景があり、新緑や紅葉、草花や木の実、キノコなどが山の野辺を彩っています。 里山については、場所によりさまざまな姿があり、その解釈もさまざまですが、共通していることとして次のようなことがあげられます。

場所

  • 集落やまちの区域に包括されている森林や田畑など
  • 農用地、雑木林、人工林、竹林、ため池などが含まれる多様な土地利用がみられるところ
  • 雑木林に代表される二次林地帯
  • 祭の場などを含んだ地域の歴史や文化を伝える場(鎮守の森)

人との関わり

生活のための薪や炭を採ったり、農業のための肥料の確保など人が手を加えることにより維持管理されてきた二次的自然

里山と人とのかかわり

 現在はあまり目が向けられなくなってしまった里山も、むかしは人の生活と深くかかわっていました。むかしは、農耕で土地がやせてしまうのを防ぐために、集落の近くにある山や森林から落ち葉などを集めて、堆肥として田や畑に使っていました。また、山に落ちている枝などはたき木として使われ、かまどやいろりで燃やされたあとにできた灰も、肥料として田んぼや畑にまかれていました。このように、里山は人の生活に不可欠なものとして、人の手が加わりつづけてきたことで成り立ってきた山なのです。また、このかかわりが人と自然のおりなすふるさとの風景を育ててきました。
古里の風景(絵)

しかし・・・・・近年になり

  • 電気やガス、石油などの供給がすすんだこと
  • 化学肥料などが使われるようになったこと
  • 木材、竹などにかわって、プラスチックや金属でできたものが使われるようになったこと

 などなどにより、むかしはあった里山と人のつながりはとだえてしまい、人も山に入らなくなったため管理が行き届かず、山もだんだんと荒れてくるようになってしまいました。

里山の今

 里山の管理が行きとどかなくなると、つる性の植物が生い茂ったり、ササが繁茂したりしてブッシュ状になり、人が入ることができないような状態になっていしまいます。また、タケノコ生産のためにあった竹林もその生産がされなくなってきているために放置され、密生した竹やぶになってきています。
 このように里山がつる性植物におおわれブッシュ化し、竹林の拡大が進んでいくと、景観面からみて山の自然美が失われるだけでなく、暗い単調な山になる場合が多くなります。
 管理が行きとどかなくなると

  • つる性植物が増える 
     ⇒つるが樹木をおおい、もともとある木が枯れたり、元気がなくなる。
  • ササが繁茂する  
     ⇒森林の地面に育つ草花や背の低い木が育たなくなる。
  • 竹林の拡大・密生  
     ⇒周辺地へ四方八方に侵入し、竹だけの林になってしまう。

 暗い単調な山になり、そこにすむ生きものも単調化し多様性がなくなる。

密生化した竹
密生化した竹

里山を考えよう

 里山は、燃料や材料、肥料などを得るために生活に密接に結びついていましたが、「今、進行している荒廃を食い止めることが何かの役に立つのか」という疑問がわく人もいるのではないでしょうか。
 里山の、むかしとは違った現在社会においける新しい位置付けを考えてみます。

1.豊かな「みどり」がそこにある

 もともと、みどりがあるところを造成などをした後に、草花や樹木を植えて新しく森林をつくろうとしても、一定のみどりができあがるまでに長い年月を 必要とします。
 ⇒既にあるみどりを有効に活用することにつながります。

2.地域の気候・土壌などに適応している

 造成などをした所に新しい森林をつくろうとすると、地形の変化や元来の植生がなくなっているため、台風などの自然災害の対策、散水などが必要になってきます。
 ⇒古くからある里山は、地域の気象条件などに一定の抵抗性をもっています。

3.生きものの玉手箱

 里山には、多種多様な動植物がいて、土壌動物や微生物などを含め豊かな生態系をつくっています。これらの生きものを育む環境は人工的にはつくり難いものです。
   ⇒野生の動植物は私たちの良きパートナーとして無くてはならないものです。

4.たくさんの環境保全機能が

 炭酸ガス(CO2)の吸収、大気や水の浄化、高温化する都市気候の調節、雨水を地中にたくわえたり、地下へ浸透させる、草や木の根株で土が崩れるのを防ぐ など、いろいろな力をもっています。
 ⇒目に見えないところで、私たちの生活を守ってくれています。

5.里山の生産機能は大切

 森林資源の枯渇、石油危機、さらには化石燃料の消費による地球温暖化など多くの問題が顕在化している中で、里山の森林は、再生産と持続的な利用ができる資源となります。
   ⇒木材や燃料の安定的な供給の場として潜在的な力を秘めています。

6.文化の伝承

 里山は、生活と密着してきたことにより、多くの知恵(炭・食材・ものづくり)を育んできた場所でもあります。自然とともに生きてきた先人の文化を伝承していく場としても重要です。
   ⇒自然とともに培ってきた地域の文化を知り、学び、伝えることにつながります。

7.レクリエーション・学習・交流の場

   里山は、身近にあるリフレッシュ、生きものとのふれあい、自然を通じた人と人の交流など、現代社会にある精神的なストレスなどを解消する一つの場となります。
   ⇒心安らぐ、生きた素材があり、人々の憩いの場所や自然を学ぶなどのニーズに応えていけます。

 都市近郊や集落周辺の二次林・雑木林を主体とした自然林は、次のような効果をもたらします。

  • 資源の生産・循環
  • 水源の涵養や水質の浄化
  • 水源の涵養や水質の浄化
  • 土砂の流出や崩壊の防止
  • 大気の浄化や都市型気候の緩和
  • 地域文化の伝承
  • レクリエーションや交流の場
  • 環境学習の場

 里山の機能をよみがえらせ、守っていくことにより地域づくり・人づくり・文化の伝承につながります。

神於山(歴史)

命の水の源

 神於山は、古代から私たちの祖先にとっては「神のおられる山」として、神様が自分の守っているところをながめる山、別名「国見山」とも呼ばれ、神体山として山そのものが崇拝の対象となっていました。古代から和泉国は、気候が温和で、めぐまれた湧き水があり、多くの人々がくらしていました。弥生時代に発生した水稲耕作は、水が必要不可欠なものであったが、当時の技術では牛滝川・津田川は大河であり、谷も深く、この水を利用することは難しかったと考えられます。このため、神於山に源を発する春木川・天の川が稲作に利用できる唯一の流水であり、その水の源である神於山は、「命の水」を発するところとして大切にされていました。

文化の中心

 水の信仰にささえられた神於山信仰は、雨乞い行事にみられる山岳信仰と仏教の融合で、神社や寺を設けて行場とする修行道により、さらに信仰が深められ、中世には百八坊大伽藍をほこったといわれています。また、山麓にある積川神社・意賀美神社は雨乞いの神として尊崇されてきました。このように、神於山周辺は文化の中心的な位置を占めていたと考えられています。

衰退へ

 中世末、神於町寺は紀伊国の根来寺の勢力と衝突するところとなったが、この戦いに敗れ、焼き討ちにあって以降、根来寺の勢力の下におかれました。その後、織田信長を悩まし続けた難波の石山本願寺に根来寺衆が味方をして戦ったことにより、ついに、豊臣秀吉の根来・雑賀征伐によって、神於寺は完全に灰となってしまいました。また、文化や政治の中心が平地部に移ったことにより、江戸時代を通じ神於山周辺は衰亡の一途をたどってしまいました。

神於山周辺見取り図
「岸和田の土と草と人」著者:小垣廣次より

神於山(地形)

独立峰で多くのため池に囲まれている山

 神於山は、南を旧国道170号、東を牛滝川、西は津田川によって囲まれ、独立した山塊を呈しており、標高は296.4メートルの高さがあります。神於山の周辺は、気候的に天水が不足し、農作物の主要な生産地一帯は水の浸食が強い大阪層群の上にあることから水不足をきたすことが多いところでした。そのため、灌漑対策が必要不可欠であり、谷の下方をせき止めて水を貯める方法で谷の出口に多くのため池が人工的につくられました。このため、大小のため池が周辺にひろがっています。

花崗岩でできた山

 日本列島がまだ深い海の中にあった時代に、領家花崗岩という下部にあった地層の上に和泉層群やニ上層群が堆積しました。その幾層にも重なった地層が、60~200万年前に断層(中央構造線)をともなって隆起し、和泉山脈が形づくられました。その和泉山脈の低地部(海側)の堆積層が、長年にわたって風雨などにより削り落とされ、浸食に強い基層の領家花崗岩が顔を出しているのが現在の神於山であるといえます。

領家花崗岩って

 神於山を形づくっている岩石は、領家花崗岩と総称されるものです。「領家」の名は、天竜川中流の長野県領家村から出た名称で、この岩石の分布しているところは地質的には領家帯と呼ばれています。中央構造線ができた頃、花崗岩が古生層に貫入し、まわりの岩石に変成作用を起こすなどして変成岩になったものです。

神於山標高図
「岸和田の土と草と人」著者:小垣廣次より