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「岸和田に狼・カワウソがいたころ」(ミニ岸和田再発見第23弾)

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2016年5月9日掲載

  「狼、いのしし、しか、カワウソ(かわをそ)、イタチ、ムジナ、サル、さんたつ」これらは江戸時代後期、1735年頃に岸和田にいたとされる動物です。これらはどこに載っているかと言えば「享保・元文諸国産物帳集成・第5巻」(科学書院刊)です。鳥類も、ひがら、きくい、せつか等100種類が収録されています。最近図書館の蔵書に加わりましたので一度見ていただくと大変興味深いものがあります。ただし、原本の影印本(えいいんぼん・書物を写真撮影し、それを原版にして印刷した「複製本」のこと)なので活字にはなっていません。

 この「諸国産物帳」は、享保20(1735)年から元文4(1739)年頃に作成されたもので、全国各藩が、領内津々浦々に至るすべての産物を調べて幕府に報告するために調査したもので、全国の動植物、鉱物等産物を網羅的に調査した内容が書かれています。各藩に対し、産物帳の記載要領・様式を示しているばかりでなく、各藩から提出された産物帳の記載について不明の点は、ふたたび問い合わせを行い、一定のチェックを行なっています。「諸国産物帳」は、江戸時代以前の全国的な動植物等の分布を復元する情報源として信頼性の高い中心的な資料でこの資料を基礎とした研究が数多く知られています。しかし不思議なことに江戸幕府に提出されたものが一切残っていません。幕府が調査報告を受け入れた記録も全く無いのです。

 この調査を取り仕切ったのは、本草学者であった丹羽正伯(にわしょうはく)です。徳川吉宗が将軍に就任すると、幕府の財政を再建するためあらゆる手段を講じました。そのひとつは薬草の輸入を減らし国産に切り替えることでした。特に朝鮮人参は高価であり、すぐに国内での栽培を命じます。享保5(1720)年に丹羽正伯を採薬使(さいやくし)に命じて箱根、日光、富士山、木曽を回らせ、翌年には会津、白河、福島などの東北を回り薬草を採取させ、採取した薬草は、駒場薬園や小石川薬園に移植して育成を命じます。そんな本草学への関心の高まりの中で生まれたものですが、なぜ公式に記録が無いのかという顛末は「江戸諸国産物帳 丹羽正伯の人と仕事」(晶文社刊)等に詳しいので参照してください。

 では、現存する「諸国産物帳」はどこにあったのでしょうか?再調査があることを前提にした調査だったので各藩は控えを作成しています。その控えが発見されたり書写されたものが現存しています。岸和田藩にも控えがあったはずなのですが、残念なことに何の痕跡も残されていません。収録された資料は、「和泉物産(和泉国物産)」「和泉図上」の2冊です。いずれも年記や書名を欠きますが「和泉国岸和田領産物帳」及び「同絵図帳」と考えられます。これらは本草関係の収集で知られる愛知県の西尾市岩瀬文庫に所蔵されています。両書ともに京都の本草学者山本亡羊(やまもとぼうよう)が書写したもので、亡羊の蔵書は岩瀬文庫に引き継がれています。「和泉図上」は写本を写したものを、さらに1798年に亡羊が模写したと附記されています。ほかに現存が確認されているものとしては、同じく岩瀬文庫蔵の「岸和田草木記」と東京国立博物館蔵の「泉州岸和田領産物図記・草木部」がありますが、今回収録された資料の草木の部分の写本です。少々不鮮明で色の付いていないのが残念ですが「和泉図上」には簡単な説明と図が添えられているので見るだけでも楽しめます。是非一度手にとってみてください。

和泉図上 はぜの図