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彫物

記事ID:[[open_page_id]] 更新日:2009年3月3日掲載

 岸和田のだんじりと聞いて、まず思い浮かべるのは街中を豪快に走る姿であろう。しかし、だんじりの至るところに彫物の素晴らしさも決して見逃すことはできない。
だんじりの彫物は漆塗りや金箔などを施さずに、欅の木目を活かした仕上がりで、彫り物の種類は人物、馬、霊獣、そして花鳥ものから唐草などの文様に至る実に様々なものがある。見どころとしては、腰回り、見送り、枡合などで、そこには戦記物語や神話物語の名場面が彫刻されている。彫物の題材に取り上げられる物語は、大衆に親しまれた歌舞伎、人形浄瑠璃、講談での演目が多く、だんじりには史実と虚構が入り混じった「物語」の世界が繰り広げられている。彫刻師はそれらの物語を題材として描かれた錦絵や、絵本(絵入の読み物)の図柄を参考に下絵を描き、その下絵をもとに立体的な構想を膨らませて欅に匠の技を刻み込む。
江戸時代、だんじりの製作にあたっては藩の許可を必要とした。これは庶民に質素倹約を強いていた理由もあるが、彫物図柄の検閲の意味合いが強かった。
 当時は彫物に政治批判と受け取られるようなものや、織田家、豊臣家に関連する題材は規制を受けていたため、江戸時代のだんじりは主として「三国志」「水滸伝」などの中国の物語や、仙人、唐子遊び、源平合戦、川中島合戦などが彫られている。ところが明治に入り、自由な題材を選べるようになると、地元大阪の太閤びいきから「太閤記」や上方講談を代表する軍談「難波戦記」、人気の高い「忠臣蔵」などが取り上げられる様になる。また、明治政府が国家主義的教育を推進したこともあり「日本神話」や後醍醐天皇に忠義を尽くした楠木正成らの活躍を描く「太平記」なども登場する。近年では、各町に伝わる伝承や伝説に基づいた独自の彫物図柄も数多く見られるようになった。
 全国各地にある山車、鉾、屋台などは幕、刺繍、飾り金具で装飾されることが多いのに対し、なぜ岸和田型のだんじりはこれほどまでに彫刻を主として装飾されるのか。それは岸和田に隣接する貝塚に興った「岸上」一門の影響が大きいと考えられる。「岸上」一門は由緒ある宮彫師の一門で、日光東照宮をはじめとする寺社建築が彫物の量、質ともに優れているのも「岸上」一門の影響であろう。また、泉州の大工の間では伝説の宮彫師・左甚五郎は貝塚の生まれであるとの口説もあり、「岸上」一門の始祖である「岸上甚五郎左義信」がそのモデルではないかとの説がある。現在、「岸上」の直系は残っていないが、今もその技は岸和田の彫刻師、大工に受け継がれている。

中之濱町土呂幕画像
中之濱町(昭和二十七年作)正面土呂幕 「平将門之勇戦」 木下舜次郎作